男飯、雑感、記まぐれ

毎晩、晩飯を作っています。2018年10月中旬、くも膜下出血になって休職して、あーだこーだなって失業者。それでも陶器は造ってます。

去年の今日の事から数日間を出来るだけ思い出してみようと思います。その1。

今日は10/17。
去年の10/17の正午、仕事先の街です。

このコンビニのトイレで小便を済ませ、トイレから一歩踏み出した時に頭に衝撃が走りました。

よく言われるバットで殴られた様な激しいものでは無くて、頭の奥で少しの痛みは感じたものの何かがブチっと弾けたような感じだったと思います。

初めての感覚だと思い、その瞬間から気持ち悪さやだるさ頭の重さと鈍い痛みが憶えているかぎりありました。

本当は昼食も買う予定でいたのですが、当然その気も失せ、営業車の中で今のこの不快感が少し治るまで、この店の駐車場でうなだれていました。

どの位の時間かはわからないが、近くの港の公園駐車場まで移動した方が安心な思いがあったので、ギリギリの意識の中で移動したのです。

首を動かしたり、目を開けているのは苦しかったので、薄目開きで視界を捉えて首を動かさないように前だけ見て運転をしました。

公園までの道には車が路駐しており、私自身は薄目開きのつもりいたのですが、閉じていた様でした。ハンドルがグニっと切れ、動きが支えた様に止まり、ハッと目を開けた時、止まっていた赤い車にぶつかる寸前の位置でした。
ブレーキを踏んで回避し、何とか駐車場までたどり着きました。

晴れの日でした。波も凪いでいました。

車中で項垂れてる姿勢が苦しく、ガラガラの駐車場に大の字で寝ました。

この場所です。
午前中に太陽の光を浴びていたアスファルトは温かかったです。背中にじんわりと伝わって来ました。

午後からお客さんの家へ届け物があり、もう一件の用事などが予定であったのですが、まだ時間があると思い、治るのを兎に角待ちました。

脳裏にはマズイかもしれないと少し思いつつも治ると思い込んでいました。まさか自分にそんな非常事態が起こるなんてとは、有り得ないと思い込んでいたので予想外の事として危機感は持っていませんでした。

多分、13時頃だと思うのですが、ここにいてもどうにもならないと思い、早退して医者に行ってみようと考えが芽生え、それにはロキソニン飲んで苦痛を誤魔化す必要があると思い、ドラッグストアへ移動しました。

この激しい不快感の中で運転しやすい姿勢がありました。

薬を買い飲み、自販機でポカリスエットを飲み、またその駐車場で項垂れて過ごしました。

時間が過ぎて行き、お客さんとの約束時間も近づきましたが、もうどうにもそこへ行ける自信
も気力も無かったです。



住まいと会社は東名高速道路使用しての通勤で60分。
会社からこの今の街まで40分。
何とも思わず、苦にもならずに今まで移動していたのに、この時は果てし無い長さの距離と感じ、お客さんの家へ行って仕事を済ませる事は
不可能で、限界を感じていたのを記憶しています。


私は本当に馬鹿者で、こうなっても自分が大したことないと思っていたのです。寝れれば治るだろうと。


お客さんにはTELを入れてキャンセルさせていただき、上司にも連絡しました。上司にはTELがつながらなかったので、メールで送信し早退を告げました。


事務所に戻り、倉庫のメンテナンススタッフに告げて、即出発しました。

岡崎インターから三好インターまでを高速で帰宅。いつもの通い方。
この日は怖かったです。ただ姿勢を固定して目だけで判断した運転。
先程と同じように首を項垂れて上目遣いで視界確認して走行車線だけを走る。この姿勢での運転はこの状況において凄く楽だったのです。
判断も先程よりもマシになっていました。

今考えるととても危険行為で、他の人まで巻き込んでしまう可能性が極めて高く、愚かだったと今では冷静に思っています。
ただ医者と住んでる場所だけがその時の私の答えでした。


それから住まい近くの医者に向かい、血圧等を測った時、180と今までには無い高さでした。

私の血圧はもともと高かったです。薬を飲んで140位でした。
行きつけの医者でしたので、疲れが出ての事だと思いますと言われ、点滴を打たれながら、いびきをかいて2時間程眠っていたらしい。

医者とのやりとりや会話でも、私の口調はいつも通りで、ろれつが回らない事も無かったのです。

そして住まいに戻り、ダウンしました。
頭が重く、吐き気、肩と首がパンパンに張っていました。食欲も無く、テーブルにあったリンゴだけが口にできました。
そして風呂に入ってまると、頭が浮力で浮いている感覚がとても気持ちよく、長めにつかりました。


夜、我慢だけしながら寝ようと努めました。ちょっと寝て、目が覚め苦しむの繰り返しでした。

あの日の10/17はこうして終わりました。

今年の今日は時間をみては思い出していました。恐怖が今でも襲われます。